沖縄を再び戦場にさせないためにⅢ
「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」・山城博治さんインタビュー
2024/09/15
運動の継承に向けて
―ところで、県民大会には若者有志の参加が目立ちました。
県民大会の大きな成果と言っていいでしょう。これにも、実は一波乱も、二波乱もありました(苦笑)。
一昨年12月に安保関連3文書が出た後、「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」結成に向けた最初期の準備会合のときです。その会合で、ある若者が挙手をして発言しました。その若者は、「私たち若い世代は、先輩方の運動に敬意を表します。しかし、申し上げにくいのですが、怒りと憎悪に満ちた、先輩方の運動の世界に、私たちは入っていけません」と言うのです。正直、驚きましたし、「いったいこの若者は何を言っているのだろう?」と真意をいぶかしみました。聞くと、その若者は、「断固反対!とか、撤回せよ!とかいう、いわゆる60年安保、70年安保スタイルの運動には違和感を覚える」と言うのです。
今回の県民大会のチラシには、ど真ん中に「争うよりも愛したい。」とのメインメッセージを掲げています。私たちの運動をずっと見てきた方たちは、おそらく、「いつもと違う」、「何これ?」、「お祭りのチラシか?」と思った方も大勢いたようです。かくいう私も最初は頭を抱えましたし、困惑しました(苦笑)。
実際、大激論にもなりました。長年市民運動してきたある方は、「君たち若者は、戦争が間近に迫っているという、私たち島々の恐怖感をまったく理解していない。明るく楽しく運動をやるというのは結構だけれども、そんな生ぬるい言葉では、私たちの切実な思いは伝えられない」と反論したのです。私は、そのベテランの方の思いも理解できます。それは、すごく激しい議論でした。まさに喧々囂々、侃々諤々といった感じです。
そうした激しい議論が続き、結論を持ち越し、激論の余韻冷めやらぬ中のことです。その若者たちが、変わらず私たちの会合に参加しつづけたのです。普通だったら、「もうあんなところには参加したくない」となっても不思議ではありません。しかし、その若者有志は変わらずに来た。来たからこそ、私は、彼らと意見の食い違いがあっても、彼らを決して切り捨てることなく、議論を重ねたい、と思ったのです。
―実は、私もあのメッセージには驚きました。失礼な言い方かもしれませんが、「活動家」らしくはないと率直に思ったのです。
私は、もう70歳をこえました。私たちシニア層は変わらなくてはいけない、若者たちに運動を引き継いでほしいと真剣に思っています。だから、彼らの意見を大胆に取り入れました。
この考えは、いまに始まったものではありません。辺野古の現場に立ち続けていたときからの一貫した信念です。大衆運動は、広がりを持たなければなりません。激しい議論や激しい行動をしたい人たちの気持ちは、理解できます。その気持ちはわかりますが、大衆運動は、世の中を動かしてナンボの世界です。いままで眠っていた層を呼び起こして、彼らを動かしてこそ、支持が広がり、大きな政治のエネルギーに転換できます。今回そのような動きを感じます。
そうした私の姿を見て、「山城さん、変わったなぁ」といった声もあります。しかし、いまは、新しい県民運動をまさに創り出そうとしているときです。シニア層だけでなく、若者層も含めた、多くの県民が総立ち上がりできるようなメッセージを発信すべきだと思います。
―知事を先頭に、若者層も巻き込んだ、新たな県民運動がいままさに動きだそうとしている、その局面というわけですね。
とはいえ、課題はあります。知ってのとおり、この10年間、沖縄の平和運動は、辺野古新基地建設反対に大きなエネルギーを注いできました。これまで辺野古反対に向いていた巨大なエネルギーと合わせて、沖縄を戦場にさせないための取り組みにシフトさせる必要があります。
誤解しないでほしいのは、決して辺野古はもう終わったというわけではありません。辺野古の戦いは続きます。いまも、玉城知事を先頭に、代執行という国の新たな強権発動に向けた動きに対抗していく局面に迫られています。
しかし、誤解を恐れずに言えば、辺野古反対の一点では、もはや戦争を止めることができない状況になっています。私たちが辺野古に比重を傾けていた間隙を縫って、国は、次々に南西諸島に自衛隊基地を造ってきました。いまの国の動きをみていると、残念ながら、辺野古反対の運動だけでは立ち行かなくなっています。辺野古ありきでは不十分なのです。
意外に思うかもしれませんが、私は、正直言うと、県民大会が始まるまで成功するだろうか、参加者はいったいどれくらい集まるだろうかと心配でなりませんでした。辺野古新基地反対の集会以外で初めての試みだったからでもあります。1万人規模の大集会と呼びかけてはいましたが、3,000人集まるだろうか、4,000人集まるだろうか、頭はずっとそのことばかり考えていました。1万人集まったことにはおおいに安堵していますし、集まった方たちにおおいに感謝しています。全国の仲間には、ぜひとも、この沖縄の民衆の熱い思いを受け止めていただきたいと切に願います。
うれしい出来事がありました。県民大会のあと、全国交流集会を別会場で開きました。全国各地から沖縄の地にはるばる駆けつけてくれた仲間たちとの交流の場をもったのです。その場で、ある県外の仲間から言われた言葉が忘れられません。「沖縄はいいな、デニーさんがいるから」と言うのです。どういうことか? と尋ねると、「私たちの県だったら違う。知事帰れ!何しに来た!と批判ばかりだ。しかし、今日はびっくりした。デニーさんがあいさつを終えて、拍手で送られて降壇すると、会場から「デニーさん、頑張って!」、「デニー知事、一緒に頑張りましょう!」と口々に声援が飛ぶ。うちの県ではこんな姿はぜったいに見られないよ」と言います。それを聞いて思わず涙が出そうになりました。知事と共に県民運動ができることを改めて誇りに思いました。
重大局面を迎えた辺野古の現状
―さて、最後に辺野古の現状について伺います。代執行訴訟が、昨年10月30日、第1回口頭弁論で即日結審しました。非常に苦しい局面だと思います。
ご指摘のとおり、遠からず代執行になるでしょう。沖縄が苦しいのはそのとおりです。しかし、見誤ってならないのは、国側も苦しいはずだという点です。
なぜかというと、国は、昨年(2023年)9月4日、最高裁判決で軟弱地盤の改良工事を進める司法のお墨付きを得ました。そもそも国が変更申請を出したのが、2020年4月のことです。3年以上もの年月を費やしてようやく最高裁判決を得たのです。にもかかわらず、国は、代執行という「強権発動」に踏み込まざるを得ない。県民からすると、国が権力というギラギラ光る刀を振り回して沖縄に襲いかかる、まさに「銃剣とブルドーザー」で戦後沖縄に米軍基地が造られた構図と重なるものがあります。
初めての代執行となります。国は、強権発動を沖縄にしかけるのです。国は、県民に力づくで襲いかかる構図をつくってしまいました。果たして歴史の審判に耐えられるのでしょうか。疑問です。沖縄県民を説得できなかった、強権発動せざるを得ないほど国が追い込まれてしまった、その時点で、私は、この駆け引きは国の負けだと思います。
もう1点、触れておきたいのは、工事の進捗状況についてです。国は、2018年12月から埋め立て土砂の投入をはじめました。昨年ようやく、辺野古崎南西部の水深1メートル程度の浅瀬の海の埋め立て工事を終えたところです。陸地化とかさ上げ工事に5年もかかっています。思い出してください。国は当初何と言っていたのか。国は、5年間ですべての埋め立て工事を終えると主張していたのです。軟弱地盤区域も含めてのことです。現状は、埋め立て面積の30パーセント弱、埋め立て投入予定の全土砂量のわずか8パーセントにすぎません。
一方、大浦湾側のマヨネーズ状といわれる軟弱地盤海域は、水深約90メートルもあります。その海域に砂杭を7万本も打ち込む、途方もない工事を今後はじめるというのです。当初5年間ですべての埋め立て工事が完了すると言っていたのですから、計画が今後もコロコロ変わるのは目に見えています。おそらく、国は、途中で再び計画変更の申請をせざるを得なくなるでしょう。変更申請が今回の1回限りで終わるとはとても思えません。いったいいつまで工事を続けるつもりか。
それを承知しているからこそ、国は、保守県政に代えようと県政奪還に躍起になっているのでしょう。しかし、私たちは負けません。国に屈しない知事を生み出し続ける限り、沖縄は決して国には負けませんし、工事は完成させられません。 私たちは、沖縄・南西諸島を戦場にさせない新しい取り組みをスタートさせたばかりですが、辺野古新基地建設反対運動を一層強化して闘いぬきます。辺野古の現場にも立ち続けます。県民の決して諦めない気持ちがあれば、辺野古は決して造られないと断言できます。ぜひ、全国の皆さん、沖縄の声に耳を傾けてください。沖縄と連帯してください。そして、共に戦っていきましょう。