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沖縄せんべろ日記

Grassroots編集部 2024/10/10

沖縄の飲み屋の風景は今新しい流れを生んでいる。

 

沖縄の酒飲みスタイルは東京や大阪にある軽く一杯、ササっと帰る、という飲み方はあまりなかった。友人同士がじっくり落ち着いてというもの。店の雰囲気もそのように作られている。それが那覇市安里(あさと)近くの栄町市場にそれまで小さな商店だった場所が閉店。そのスペースを利用して小さな飲み屋が増え、気楽で安価に飲める、ちょうど吉祥寺のハモニカ横丁のような場所が生まれ、若者中心に人が集まりだした。やがて那覇市内に同様の少額で飲める店が出てくる。

 

「せんべろ」とは、千円でべろべろに酔える、を短く縮めた言葉。安く飲むことや飲める店などを意味する場合に使われる。働けど給料が上がらず少しも楽にならない生活、それどころか何かあれば配転、解雇などが大手を振ってまかり通る昨今、「ちょっと一杯」も財布の中身が気にかかる。どこかの誰かと違いそういった暮らしを続ける庶民は、ひと頃流行った高い金を払って旨いものを食べに行くなどにはますます縁遠くなり、僅かの金でも楽しみたいと安い酒場に向かった。

 

かつては東京や大阪などで働く人たちを相手としていた工場地帯周辺にそういった店が今も残り賑わっている。そして流行りだした言葉が「せんべろ」である。言葉自体は、2001年作家の中島らも氏と編集者の小堀純氏が共著『せんべろ探偵が行く』で使い始めたのが最初とも言われるが、生活が厳しくなるにつれ人々へ浸透していった気がする。しかしこの本が出た頃であっても、安い店と言って千円でべろべろになる程飲めるとはいかず、酒2、3杯につまみ1、2品で約千円と云ったところが実際だろう。

 

まあ友人とちょっと飲んで一人二千円台なら『せんべろ店』という感じなのである。安い庶民的な店と言えば値段だけでなく隣り合った者同士で会話が生まれる。店内に流れる柔らかい雰囲気と気軽に過ごせる居心地の良さに、かつては小父さんばかりであったところに若者や女性たちも随分顔を見せるようになり、場所によっては私のような小父さんは隅っこで小さくなって飲んでいる始末である。

 

沖縄でのせんべろブームの火付け役となった『足立屋』は、沖縄に大衆酒場を浸透させようと2013年宜野湾市で店を開いた。そして2014年牧志公設市場近くに『大衆串揚酒場 足立屋』がオープン。酒3杯に料理一品という「せんべろセット」を始める。料理はもつ煮込みか串揚げ4本から選ぶことができる。料理を頼まず酒4杯でもOK、このスタイルが他の店にも広がっていく。

 

公設市場は、那覇の人々が日常の買い物をする場所として始まり、その付近に洋服や食品などを販売する小さなお店が並ぶ。その後観光客などもお土産を買ったり、2階の食堂へ食事に訪れたりするなどの賑わいを見せていた。しかし沖縄内にもスーパーなど大型店舗が次第に増え、まちぐわー(沖縄でいう小さな店が集まったエリア)にも次第に閉店するところが増えてきた。公設市場には観光客が訪れ賑わいも見せていたが、その裏手は扉のしまった店の並ぶ暗い路地、いくつか残っていた商店に買い物に来る客も日中を過ぎれば途絶えてしまう。足立屋が開業したばかりのころは日が暮れると店のあたりは真っ暗。公設市場の面した商店街ですら夜はほとんどシャッターがおろされ静まり返っていた。

 

しかし今まで沖縄になかった立ち飲みというスタイルと、気軽に飲める料金に、次第に客が集まりだす。さらには付近の店にも客は流れ、閉店していた店舗で居酒屋を始める者が続き飲み屋街へと変わっていく。ほとんどの店が足立屋で行っている「せんべろセット」をメニューに載せ人気となっていった。やがてせんべろ人気はこの界隈では収まらず次第に沖縄各地の居酒屋、食堂などに広まり、今では本島に限らず宮古島、石垣島にも届き、沖縄の居酒屋スタイルの新しい流れとなっている。せんべろ自体もパターンが増えており、料理や酒を豪華にした『1500べろ』、『2000べろ』といった物を提供する店や、『せんべろお替りOK』(一日に一人一回、とか他の人とシェアはできない、など店に寄ってのルールがある)の店もある。東京などの千円でビール1杯料理一皿のスタートメニューという分量ではなく「千円でそれなりに飲めるセット」を各店が競争、店の看板メニューにして、まずはお客を呼ぶ。こちらとしてはうれしいことこの上ない。

 

国際通りや牧志公設市場周辺、栄町市場(安里)の飲み屋街には『せんべろセット』を提供する、様々な酒場がひしめき合い、地元沖縄の人だけでなく多くの観光客で賑わっている。青い海を求めて沖縄を訪れるばかりではなく、最近では「せんべろ」を目的にという者まで出てきている。ネットなどでも「沖縄せんべろ」と検索すればずらりと記事が並び、ブログに事欠かない。

 

さて「沖縄せんべろ」は自分でも沖縄に行ったときの大きな楽しみにもなっている。那覇空港到着後宿に荷物を放り込んだら、早速せんべろ店に向かう。東京で朝前日の仕事の残りをまとめ家を出るのは午後になってしまうことが多く、沖縄に到着するのはいつも夜の7時8時位になってしまう。那覇空港到着後宿に荷物を放り込んだらすでに夜9時近く。そこからせんべろ店に向かう。公設市場周辺に集まる飲み屋さんには、どの店もせんべろセットの看板を出している。以前来た時に入った「川かみ鮮魚 魚坊(イユボウ)」、看板に刺身のセットを見つけ、店の前に出されていたテーブルに着き、せんべろセットを注文。飲み物は生ビール、酎ハイ、泡盛、酒などから好きなものを3杯(もちろんノンアルも有りだ)。それに刺身とさらにもう一品が付き千円というものだった。飲み物が出され出てきた刺身の皿にはマグロ、カツオ、更に白身の魚が乗りしかもドカッと12切れ。なんとこれで一人分なのだ。しかもこの刺身は地元沖縄で上がった「県産魚」。冷凍ものなどではないというからうれしい。千円で酒3杯だけでも安いので、これに付く一品といったら「お通し」程度のものかと思っていた期待は良い方に裏切られた。これではまるでこの一皿「地元産刺身」として千円、とメニューに載っていてもおかしくはないほどのもの。このときは酒を飲まない友人と一緒で二人でせんべろセットを頼んだのだがオリオン生をグッと飲み干しまたお替りを頼む。私はやっと一息というところだったが友人は疲れのせいか早々と宿に戻ってしまった。飲み切れなかった2杯分に刺身は半分以上が残っている。刺身は結構な量で自分の分だけで十分ある。隣で飲んでいた若者二人組に「手を付けてしまっているが良かったら食べて」と回すと、彼らは若いせいかニコニコと食べきってくれた。そのあと彼らとも軽く会話をしながら3杯目プラス友人の分を飲み切り終了。この日の飲みは千円だけで済んでしまい、その名のとおり「せんべろ」で上がってしまった。

 

そこにするかまた別の店を覗いてみるかやや迷いながら界隈を回る。「魚坊(イユボウ)」は以前の場所から100メートルほど東、浮島通りとの角のビル一階に移っていたが店は満席。22時にはオーダーストップということで諦める。後日仕事が終わった後一二度行ってみたが時間が悪いためかいつも満席。あの刺身が食べたっかったなぁ

 

やはり魚を出す店で鮨でせんべろ、のどを潤した。一人ということもあり公設市場脇道を入った「立ち飲み足立屋」、「天国酒場」などが集まる一画へ。公設市場付近のせんべろ店は22時頃に終了となる店が多く『大衆串揚酒場 足立屋』も閉店となる。しかしここから数十メートル離れた「角打ち足立屋」は閉店は25時。他店が閉店となる前から店内はいっぱい、少人数なら何とかもぐり込めるが、入れない客が店の外で飲んでいる。中に入ると隣り合った数人のグループや一人飲みの客が気兼ねなくしゃべり合っている。地元那覇の住人、仕事や観光で各地から訪れた者に加えネットを見て訪れる外国人など多様な者たちが旧知の友人のようにグラスを交わす。知らない国を訪ねて気兼ねなく交流できるのは酒の効用の一つでもある。スマホを構え店の外から撮影する海外からの観光客も後を絶たない。それをまた見て沖縄を目指す観光客が増えるのだろう。沖縄の観光資源として西海岸のリゾートビーチは国内、海外からの人々を集めているが、沖縄の飲み屋街が新たな観光資源として認知される日も近いだろう。

 

ただ航空運賃を払って「せんべろ」を目指す酒飲みたち。「オイオイそれせんベろ?」と矛盾を感じないこともないがその可愛さに私は敬意を示したい。