魔女と呼んだかもしれない
2025/07/04
5歳の頃、親の仕事の都合でベルギーに住んでいた。近所の日本人幼稚園は定員オーバーだったので、現地の幼稚園に通っていたのだが、当然自分以外の園児はフランス語を話すベルギー人だった。先生も言語が通じないので誰とも意思疎通ができず、仕方がないのでいつもボーっとしていた。例えば、先生が今日はみんなで公園に行こう!などと言って園児を連れて移動しても、僕は言葉が分からないので気づけば教室に一人で取り残されていたことをよく覚えている。
そんな孤独な日々は突然終わりを告げた。同い年の日本人の園児が転園してきたのだ。自然と僕はその園児と友人になり、いつも二人で一緒にいることになった。彼は、僕とは違いワンパクな少年で、すっかり引っ込み思案な性格になっていた僕を連れ回してくれていた。
ある日、友人は僕に向かってこう言った「あいつは魔女だ」、と。指差した方向には、クラスメイトのアフリカ系の少年がいた。僕は彼のことをこれまで全く意識していなかった。クラス全員、言語が通じなかったので他のクラスメイトに関心を持っていなかったからだろう。アフリカ系の園児は彼一人だったので、クラスで浮いているようだった。今となっては分からないが、僕らと同じく海外からの転園で言語が通じなかったのかもしれないし、肌の色から避けられていたのかもしれない。
つまり、これまでは大半のベルギー人、日本人の僕、アフリカ系の彼、で構成されていたクラスだった。そのため、僕とアフリカ系の彼は共に疎外され孤独だったのだが、お互い言語が通じる訳でもないので交流のしようもなく、お互いに無関心だったのだ。
しかし、友人の転園により構図に変化が生じた。大半のベルギー人、日本人の二人組、アフリカ系の彼、となった。僕ら二人も彼も、全体から見たら明らかなマイノリティーなのだが、マイノリティー側からすれば二人と一人ではまるで違う。
これにより、日本人の僕らは「マイノリティーの中の、マジョリティー」となった。転園してきた彼は、その構造に無意識のうちに気づいたのだろう。アフリカ系の彼は男子だったと記憶しているし、「魔女」というレッテルの由来は全く分からないのだが、5歳児が思いつく唯一の侮蔑的で弾圧的なレッテルがそれだったのだろう。
日本の幼稚園よろしく、園児が自由に園庭で遊ぶ時間も多かった。その中で、僕ら日本人もアフリカ系の彼も、もちろんどこのグループにも入れない。ただ、友人の日本人は「魔女だ!魔女だ!」と言いながら、アフリカ系の彼を追い回していた光景が記憶に残っている。記憶にはないが、おそらく僕もそれに追従していたのであろう。マイノリティーによるマイノリティーの差別、それは5歳の園児が3人いるだけでも起きることなのだ。
たまに、子どもの頃には差別意識などないはずなのに、社会化されるにつれ人間は差別的になるのだ、などと言う人がいるが、全ての子どもがそんなに善良なら世話ない。むしろ、社会常識がインストールされていない子どもの無邪気な差別の恐ろしさだってあるのが当たり前だろう。
友人に悪意があったかは定かではない。「魔女」という言葉には本人として侮蔑のつもりはあまりなく、単に仲間になりたくてじゃれ合おうとしていただけなのかもしれない。しかし、僕の記憶には当時の驚きと戸惑いが記憶されていることから、本人の意識はどうあれ差別的な意図があるように見える行動であり、「魔女」と呼ばれた彼は嫌な思いをしたのだろうと思っている。というのも、記憶の中にいる彼は、逃げ回る瞬間ばかりで、彼と面と向かって喋ったり遊んだりした光景は出てこないのだ。
これ以上の記憶はない。僕と友人は卒園の少し前には日本に帰国し、会うこともほとんどなくなった。当時は、感情を言語化する力もなく、その環境についても何とも思わなかった。しかし、帰国して小学校に上がると(多くの帰国子女が通る道だが)それなりにいじめに遭い、「異質なもの」と扱われる中でベルギーでのことを思い出すようになった。
子供の頃は、ただ「時折思い出すだけの陰気な思い出」だったのだが、つい何度も追憶するうちに、大人になっても脳裏にこびりついた記憶になっていた。幼少期の経験は、ささいなことでも心に大きく影響する。もちろん、僕らよりもアフリカ系の彼にとって、大きな出来事であったと考えておくべきだろう。
「弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者を叩く」
ロックバンド・THE BLUE HEARTSの楽曲「TRAIN-TRAIN」の有名な一節だ。
マジョリティーから見て、というか客観的に見て、クラスでの僕たちと彼は、マイノリティーA(アジア人)、マイノリティーB(アフリカ系)くらいのものでしかなかっただろう。しかし、そのAとBの中では数は力とばかりに、一人の人数差で大きな権力勾配が起きる。もし、転園してきたのがアフリカ系だったら、どうなっていたのだろうか。
人類史上、相対的に少数の民族が弾圧され、その民族がまた相対的に少数の民族を弾圧するということが繰り返されてきた。だから、当たり前といえば当たり前で、人間とはもともと残酷な生き物であると言ってしまえば、それまでだ。
やはり、マイノリティーであることは、無辜であることの証左にならないし、全ての人には多かれ少なかれ等しく暴力性がある。それが露出するかは、元の「人格」などというあやふやなものよりも、環境要因の方がよっぽど大きいと歴史が示していると思う。「被害者」がいかなる文脈でも正しかったら、こんな複雑な世の中にならないわけで、あらゆる当事者が人間である以上、善悪やレッテルで理解できる範疇なんてたかがしれている。
それでも、差別に反対すると言い続けて置かなければならない。被差別者の粗をあげつらったとして、それが何の解決になるだろうか。それは彼ら彼女らが、自分自身で向き合う問題だ。マジョリティーの側にいる人たちには「どうせ分からない」ことがどうしてもある。だからこそ、私たちは一つ覚えのようでも「あらゆる差別に反対」し続けるしかないのだろう。5歳の時のことを思い出すと、マイノリティー問題が一筋縄では行かないことに思いを馳せてしまうが、結局のところ結論は陳腐な決まり文句にしか辿りつかない。その中で、シュプレヒコールで話を終わらせずに、世界の複雑さに、人間の複雑さに向き合い続ける努力を続けることしか、道は指し示されていないと思う。
今でも思い出すと後ろめたい気持ちになる記憶だ。しかし、5歳の頃の曖昧な思い出を、あまりに深刻ぶって考えることも却って偽善的にも思える。ただ、20年以上たった今も、数少ない幼少期の鮮明な記憶として「魔女」と呼ばれたーーーいや、きっと僕もそう呼んだのであろう、彼のことを覚えていること自体は、良かったなと思う。