参院選に浮上した「女系天皇」──山尾志桜里の問題提起
2025/07/19
明日の7月20日の投開票日に向け、参院選の選挙運動もいよいよ大詰めを迎えている。メジャーな争点はコメの価格を含めた物価高対策などがあるが、個人的に注目しているテーマは皇位継承だ。
というのも今回、皇位継承について最もラディカルと言える「女系継承」というワードを検討レベルであるものの持ち込んで出馬した候補者がいるからである。その候補こそ、山尾志桜里だ。
山尾は出馬会見で「皇室と憲法」について選挙戦で訴えたいとして、女性天皇の容認を提起した。国民生活が経済的に厳しい現在において皇室というテーマは国民生活とはずいぶん縁遠い話のように感じる読者もいるかもしれない。ところが、憲法の第一条から第八条までを構成する第一章こそが「天皇」であり、日本という国家の根幹を成している。このことを山尾は次のように指摘している。
「万が一にも、皇位が途絶えてしまったら、憲法上、国会を召集することも、首相を任命することも、法律や憲法の公布さえもできなくなって、国家として日本は機能停止に陥ります。 」
いかにも法律家らしいロジカルでリアリティのある指摘だ。いや、法律家でなくとも、2006年までは政府にも同じ認識があったはずだ。2006年1月、時の総理大臣である小泉純一郎が女性・女系天皇を認める皇室典範改正案の国会提出を施政方針演説で表明したほどだから、誰もがこの問題に気付いていて最終的には女系容認しかないという認識があったのだと思う。
ここでいう女性天皇とはつまり愛子様の即位を指すのであり、女系天皇はその次の世代として母方に天皇の血を引く愛子様のお子様が即位することを指す。
皇室内に男子が存在しなければ、天皇を空位にしないために女性天皇・女系天皇を容認しようという話になるのは当然の成り行きだろう。とはいえ、少なくとも1500年続いた万世一系の男系子孫という権威を失ってなお、国民全体にその地位を承認させるのは並大抵のことではない。しかし、戦後において天皇及び皇室が、日々「開かれた皇室」として国民と信頼関係を築いてきたことが、万世一系に変わって新しい天皇の権威となっていたからこそ、ここまで話が進展したのだろう。女系の容認は男女の本質的平等を志向する戦後日本の価値観に照らしても国民に受け入れられる話だったはずだ。
ところが、悠仁様の誕生でそうした議論を国民全員が忘れてしまったのである。歴史的にも女性天皇という存在は、皇位継承権のある男系男子が幼い間の繋ぎ役としての役割が多く、5歳下のいとこに男子が生まれたことで愛子様の皇位継承は議論の対象では一旦はなくなった。しかし、これは愛子様・悠仁様の世代で女性天皇即位の必要がなくなったというだけの話であって、次の世代ではやはり同じ問題が起き得る。今上陛下と秋篠宮殿下お二人のどちらかに男子が生まれれば継承できた前世代と比べて、次の世代は悠仁様に男子が生まれなければ継承できない訳だから、状況としては一層厳しくなっていると言えよう。
ここで一番問題となるのは、悠仁様の配偶者となるであろう女性に極めて大きなプレッシャーがかかるという点だ。いうまでもなく妊娠・出産は女性に身体的負担のかかることであり、現代の平均だと生涯に2度、多くても4度がという人がほとんどだろう。その有限な妊娠・出産の回数の中で男子が生まれなければ憲法上は国家が滅ぶというプレッシャーの中に身を置こうという女性は、なかなかいないだろう。女系を容認すれば生まれる子供の性別は問われないから、ここまでの非人道的な立場を強いられることはなくなる。
山尾の出馬会見まで、筆者は女性天皇容認論にあまり好意的な印象がなかった。それは、悠仁様の誕生により時間的猶予ができたことによって、いつの間にか議論の前提として男系が絶対視されるように時計の針が巻き戻り、男系継承ありきの女性天皇容認論ばかりを目にしていたからだ。男系維持を前提としている状態で女性天皇の即位が実現した場合、即位された天皇が、本意ではない選択を強いられたり中途半端なお立場に悩まれることがあるのではないかという懸念があった。従来の女性天皇容認論はこうした点にあまり触れることがなく、とりあえず女性天皇は歴史上に例があるから容認して良いだろうといった論調のものが多かった。その点、女系の検討まで踏み込んで言及した山尾の出馬会見は画期的であり、今回の選挙においても大きく期待を寄せている。
実のところ、山尾会見以前の筆者が持っていた皇位継承論は「側室」の復活であった。荒唐無稽な話と思われるかもしれないが、男系を安定的に継承することを前提とするのならば、現実的に考えてこれ以外の答えはないだろう。記紀の記述に従えば、神武天皇以来126代も男系継承を続けられている訳だが、これは皇族の男子が側室をとっていたから出来たことに他ならない。今話題の参政党の党首である神谷宗幣もその事に気づいているのか、かつてYoutubeで側室について言及していたようだ。山尾の「女系容認」と神谷の「側室」、両端ではあるが現実的な安定的皇位継承の案が同じ国政選挙において出揃った形になる。
最後に憲法の第一条を引用させていただきたい。
「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 」
この条文がある限り、皇位の継承に関わる皇族の人生は我々国民の意思から逃れられないし、同時に天皇がいなければ我々の国の政体は成り立たないのだ。
この選挙を機に、安定的な皇位継承について広く国民の間に議論が生まれることを願っている。手遅れになる前にそれをやる義務が私たちにはあるだろう。