コラム私感雑感

釜ヶ崎に歩みを寄せる

あまとう 2025/08/01

「いいですか。よく目に焼きつけてください。どれだけ街が発展しても、釜ヶ崎のおっちゃんたちは確かにいます。」

2015年春。私たちは引率のシスターに連れられて、出来たばかりのあべのハルカスの展望台にいた。眼前に広がる大阪の街の中にポツンとある平地を私たちは一心に眺めていた。
「私たちが居るこのビルを建てるのにも、おっちゃんたちが携わっています。これから向かう場所は様々な事情を抱えた人が住んでいるところです。私たちは今からおっちゃんたちのところにお邪魔させてもらうのです。くれぐれも粗相のないように。」
母親が子どもに言い聞かせるように彼女は言った。私はその言葉に耳を傾けながら、これから始まる3泊4日のボランティア活動に思いを馳せる。同級生たちはせっかくの大阪なのにこんな格好で恥ずかしいね、とため息をついていた。事前に学校から指定された服装はジーンズに地味な色合いのパーカーとヨレヨレのスニーカーだった。片田舎の女子中学生なら、大都会の大阪に来たからにはめいいっぱいオシャレをしたがるところだろう。しかしながら私たちの目的はただの観光ではなく、釜ヶ崎での炊き出しや夜回りといった校外学習だ。その目的を忘れないように、シスターは浮かれ気分の私たちをまずはあべのハルカスに連れてきて釘を刺した。

当時、私は田舎のミッションスクールに通う女子中学生だった。この学校では毎年志願者を募って釜ヶ崎でのボランティア活動に参加している。私もそのうちの1人だ。参加した理由は至って単純で、当時お世話になっていたシスターから勧められたから。その時の私はドヤという言葉も知らないような無知な子どもだった。あいりん地区という名称が現地の人から嫌われている理由もよくわからなかったし、事前学習で学んだ西成暴動の内容に恐ろしさを覚えるような普通の中学生。それでも何事も経験だと思った私はその土地を訪れることにしてみた。

あべのハルカスから坂を下って釜ヶ崎へと歩く。一歩一歩近づくたびに街の空気がどんよりしたものへと変わっていく。その変化にオシャレがしたかったと嘆いていた同級生たちも唇を噛み締めていた。引導していたシスターがこちらを振り返って「どんな人がいてもキョロキョロしたらダメですよ」と再度注意する。

目的の場所に着いた時、私は感じたことのない街の空気に怯えていた。ここが釜ヶ崎。大阪の中心部に近いはずなのに、時が止まったかのような街並みにショックを受けていた。呆然としていると、隣にいた同級生がいきなり泣き出した。どうしたの?と声をかけると、彼女の瞳は一点を見つめている。その先にはダンボールの上でぶつぶつと何か唱えている路上生活者の若い女性がいた。なるほど、この子は地元の駅前にいるような「ホームレスのおじさん」を想像していたのだろう。だからこそ、自分と大きく年が変わらない女性がいることに戸惑いを覚えたようだ。それに気づいたシスターが無言で彼女の手を取り、駆け足で宿へと連れて行った。

私たちが宿泊する「ふるさとの家」に辿りつくとそこの施設長のシスターが出迎えてくれた。急な階段をのぼり2階へと案内され一息つく。
「皆さん、初めての場所に驚いた方もいるでしょう。でもここはおっちゃんたちや、いろんな人の居場所です。明日の炊き出しでは、これまで会ったことのないような方々と会うと思います。それでも差別はもちろん警戒心を向けてもいけません。おっちゃんたちはそういった眼差しに敏感です。私たちは皆神様の子どもです。そのことを忘れないように。」シスターは諭すように私たちに語った。私はその言葉を頭で理解しながらも、上手く飲み込めずざわざわとした気持ちで次の日に備えて布団に入った。

炊き出しの朝は早い。午前3時に起きて4時に集合場所の三角公園へ向かい、現地で活動しているおばちゃんたちに挨拶をする。そこで役割を与えられ、私はおっちゃんたちに配膳する係を任された。今日作るのは、野菜のあんかけ丼。3月とはいえ、春先の朝冷えに手を悴ませながら野菜を無心に切り続ける。まだ日も出てない時間だというのに、温かいご飯を求めて公園にはおっちゃんたちがちらほら集まってきた。米が炊き上がるまで一旦休憩に入った私たちは、緊張と疲労のあまり軽く寝てしまった。

朝8時。炊き上がった米の上に具材を乗せる。私は配膳係として最大限の笑顔を向けておっちゃんたちに渡していく。ありがとうありがとうと何度もお礼を言うおっちゃんもいれば、無言でとっていくおっちゃんもいたりと、様々な人がいた。配膳に慣れてきた私は、笑顔の次に一言声をかけてみた。寒いですね。風邪に気をつけてくださいね。その言葉に、「お嬢ちゃんもね」と返してくれる人もいれば、鬱陶しそうに目を背ける人もいた。

そんなことをこなしていくうちに、私はボランティア活動というものの意味を考えていた。それまでボランティア活動というものは良いことで、それを受け取る側も無条件に喜ぶものだと思っていた。しかし実際はどうだろう。私は綺麗な幻想にただ自惚れていただけではないだろうか。おっちゃんたちからしたら私たちはよそ者で、温かいご飯が欲しいから並んでいただけ。ただそれだけの関係なのだ。与える側と受け取る側という関係の中で、私たちはどのような態度を取ればいいのだろう。

聖書の教えで「最も小さい者」というものがある。「小さい者」とは弱い者、つまり社会的にハンディギャップを背負っている人のことを指す。キリスト教では、この「小さい者」に憐れみをかけることが良しとされている。これはただ同情したり、情けをかけるということを指すのではなく、自分が求めているもの以上のことを他者に与えることが、神様への奉仕につながるという意味だ。私たちは与えられる喜びを知っている。人に優しくされると嬉しい気持ちになるし、心配されるとなんとなく自分自身に優しくできる。赤ちゃんが無条件に愛されるように、私たちもまた他者に、人によっては神様にも受け入れられている。だからこそ一人一人が他者に憐れみというgiveの精神を持つことで喜びが連鎖する。寝付く前に聖書を読み返し、そんなことを思い巡らせていた。

私は配膳している時、ぶっきらぼうなおっちゃんの態度に少し傷ついた。それは私が聖書の教えを言葉では知っていても、本当に理解しているわけではなかったからだ。だからおっちゃんたちに対して、無意識に「喜んでもらう」という見返り、takeを求めていたのだろう。私は釜ヶ崎でのボランティア活動を通して、キリスト教における「与える」ということの本当の意味を感じることができた。

そんなことを思い出しては、憐れみの心を忘れないように今日も生きている。