2020年代の関東圏の大学における立て看板運動の興隆と、現況の課題
2020年代の関東圏の大学における立て看板運動の興隆と、現況の課題
2025/10/22
「立て看板」をご存じだろうか。一般名詞としては工事現場で使われているものなども含むが、ここで取り上げたいのは大学のキャンパスに立っている、あの看板たちだ。春になると、様々なサークルや部活が新入生勧誘のために立てる、というのが今では最もポピュラーな使われ方だろう。
しかし、そうした春限定の看板とは別に、自分たちの主張や、政治的な意見を述べる場としても立て看板は機能してきた。60年代の学生運動全盛期のキャンパスの写真を見れば、そこには当たり前のように政治的な立て看板が映っている。その後も20世紀を通じて一般的なものだったようだ。
ところが、近年(といっても20年以上前に遡るだろう)大学側がそうした政治色のあるサークルの規制に走り、立て看板を立てるときは大学に許可を取れとか、春などの一時期しか立ててはいけないとか、事前に内容を確認させろとか、公認サークルしかダメだとか、あらゆるルール・規制がおおいに蔓延ってきた。それに対抗してきたもので、メディアにも取り上げられることが多く有名になったのが京都大学の立て看サークルだ。京大前の百万遍通りに出現する立て看板はしばしばTwitter上でバズることもあるが、基本的に京都大学のルール上は許可されていない。そのような抗議運動の文脈を持つ「立て看運動」は、2010年代後半には京都大学のものしか目立つことがない状況が続いた。
その文脈の中で、2020年代以降に登場してきたのが関東の大学の新しい立て看サークル群である。それらが共時的に現れたことから、立て看運動はインターカレッジな盛り上がりをみせ、パレスチナ問題や、学費値上げ問題などをテーマにする今日日の学生運動のハブとして機能した。
具体的な大学としては、明治大学、東京大学、青山学院大学などが積極的な活動をみせた。以下、各大学の特徴を紹介していく。なお筆者は早稲田大学の立て看サークルに所属しており、他大学のサークルにも顔を出しているため交流はあるものの、各大学の当事者ではないことはご承知願いたい。また、記述についても当時のサークル外部からみた印象であるため、実際の事実関係とは異なる可能性もあるだろう。
まず、明治大学立て看同好会(明大立て看)について、明大立て看は注目された時期が他と比べて早く、嚆矢的存在といってよい。主にパレスチナに関する問題を扱っていた印象が強いが、なにより明大の特徴は、職員による規制が他大学と比べてもあまりにも厳しいことだろう。大学側は、立て看を立てることそのものを禁止することはおろか、警察を呼ぶことすらあった。警察の不介入原則がある大学という空間の社会運動において、大学側が警察を呼ぶことは非常に重い意味を持っており、このような出来事が明大立て看を有名にしたことは間違いない。
次に、東京大学立て看同好会(東大立て看)について、こちらは規制のゆるい駒場キャンパスで立ち上がった。東京大学駒場キャンパスでは、構内(例えば講義棟の前など)での立て看板設置は元々自由だったが、駒場東大前駅から門までの数十メートルの空間(東京大学の敷地内である)は設置が禁止されていた。東大立て看は、そこにあえて立て看板を設置し、撤去されないためにテントを設置して24時間体制で座り込みを行い、撤去を試みる職員に結果的に立て看板の設置を認めさせたという功績で有名だ。そのほか立て看板の無断設置は禁止されている本郷キャンパスへの進出など、元の(比較的)自由な校風に対し、更なる自由の拡大を求めるサークルである。
青山学院大学立て看同好会(青学立て看)は、とりわけパレスチナ問題へのコミットが大きい団体というイメージだ。立て看を作るだけでなく、本読みデモ(学内で集まって社会問題に関する本を並べ、自由に読むこと、話すことによる抗議活動)など多彩な活動をしてきた。また、青学も明大と同様に職員による規制が厳しいが、本読みデモをフリーマーケットと勘違いして撤去させようとした事例などがあり、職員には社会運動や学生運動そのものへの見識の無さが伺える。どこぞの大学では新規大学職員に学生運動の弾圧の仕方を教える研修ビデオがあるとの噂もあるが(実際は学生との接し方や学内ルールに関する研修の延長だろう)、青学の職員間ではそうした知識そのものが受け継がれていない可能性が高い。
とはいえ、この「受け継がれていない」ということは、立て看運動そのものにも当てはまるだろう。上に挙げた3つのサークルは設立時期が2023年前後であるという点からも、一つのムーブメント的な学生運動の盛り上がりと見ることも出来るが、既存の左翼的な学生運動の流れを受け継いでいない部分が多いという特徴もある。パレスチナ解放運動に関しても、日本の左翼運動よりアメリカの大学生の活動に刺激を受けた部分が多く、世界的な連帯を感じさせる。私自身は、関西で新左翼運動を参照したサークルで活動していた経験があるので、こういった立て看運動は非常に新鮮に感じたし、魅力的に思えた。2023年からの立て看運動の盛り上がりの要因には、こうした既存左翼とは異なるスタイリッシュさにあったのではないだろうか。
こうして、2024年ごろをピークに盛り上がりをみせた立て看運動だったが、最近は少し話題に上がることが減ってきているように感じる。もちろん、立て看運動を続けている大学生も多いが、そもそも学生運動自体への注目度の低下が起きているように感じる。2024年は市民運動としてのパレスチナ支援も大きな盛り上がりを見せたし、学生運動そのものも、東大学費値上げ反対運動などで注目を受け、そうした流れの中で立て看運動の盛り上がりがあったことも間違いない。
もう一つの要因として、後継者問題も起きている。それ自体は他分野のサークルにも共通する問題ともいえるが、これまで挙げたような関東の新規立て看サークル群は、東大を除き大学非公認であるため新入生を勧誘しにくく、また活動内容的にも大学と対立することが多いため人を集めにくいなど特有の理由も多々あるだろう。しかし、なによりも、新規に立ち上げたサークルであるため、新入生獲得のための戦略そのものが蓄積されていないということが大きいと思われる。これは既存の左翼運動と距離を置いていたからこその事象、という側面もあるかもしれない。かつて長所だった部分が、現在では苦戦の原因になっているともいえる。
とはいえ、明大や東大は現在も活動を続けているし、東大立て看が作った全国的なネットワークによって、現在立て看サークルは東北大や広島大など全国的な広がりをみせている。こうした活動の中から次のムーヴメントが発生することを期待したい。