コラム私感雑感

80’s 洋楽MVに描かれた「日本」:その5 「映す価値」のある日本

ブレイクコア・クッシュ 2025/12/04

今回は、1980年代の洋楽ミュージックビデオ(以下「MV」)における「日本」の描かれ方を見ていくと同時に、そもそも1980年代においてMVというメディアがどのような存在だったのかを考えてみたいと思います。

いま私たちにとってMVは、YouTubeやSNSの中で手軽に再生できる映像コンテンツのひとつに過ぎません。しかし1980年代のそれは、まったく別の意味を持っていました。当時、MVは、音楽を聴かせるだけでなく、アーティストそのものを「見せる」ための最先端メディアだったのです。

MV専門のテレビ局MTV(Music Television)が1981年に開局して以来、MVは単なる宣伝映像ではなく、「音楽文化の中心」にまで上り詰めました。今のようにインターネットがなかった時代、世界中のリスナーがアーティストの姿を目にする唯一の手段がテレビ放送によるMVだった。ラジオよりも、雑誌の写真よりも、はるかに強力にスターのイメージを焼きつける装置――それが80年代のMVでした。

ちなみにMTVで最初に放送されたMVはThe Buggles「Video Killed the Radio Star」(1979年、MVは1981年)でした。これはMV(テレビ)による、ラジオなど旧メディアに対する「勝利宣言」以外の何ものでもありません。

現代の音楽シーンを見れば、もはやSNSの方が影響力を持っています。アーティスト自身の発信が「ブランド」になり、MVはその一要素に過ぎません。しかし1980年代当時、MVこそが最もクリエイティブで最も資金が投入されたメディアでした。制作費は映画並み、撮影には最新の映像機材が使われました。アーティストにとってMVは、曲の宣伝であると同時に、「自分たちの世界観を映像として定義する場」でもあったのです。

また、イギリスのロックバンド Dire Straits の「Money for Nothing」(1985年)では、当時まだ発展途上だったCG(コンピュータグラフィックス)が使用され、ポリゴンのぎこちない動きがむしろ新鮮な「未来感」を生んでいました。今となってはちょっと「エモい」ものになっているでしょうが。このように、「MVとは新しい映像を提示する場所である」という意識が、80年代には強く共有されていたのです。

ただし、その「新しさ」を表現する手段はCGだけではありませんでした。むしろ技術的な限界ゆえに、実際に珍しい場所へ行き、リアルな映像を撮るというアプローチが多かったのです。日本はまさにその「珍しい場所」のひとつとして、西洋のアーティストたちにとって魅力的なロケーションになっていたのです。

では、実際に日本が登場するMVをいくつか見てみましょう。ここで紹介する五つの作品は、いずれも1980年代の空気を象徴するものばかりです。

1、Phil Collins “Take Me Home”(1985年)

このMVは、世界ツアー中に撮影されたもので、ロンドン、パリ、ニューヨーク、そして東京など、各都市のランドマークが順に登場します。日本パートでは、神社仏閣、ネオン街、新幹線から見える富士山など、いまでも「日本といえばこれ」と言われそうなモチーフが並びます。文化的な理解というよりも、世界の中の日本という地理的アイコンとしての扱いですが、それでも「映像的な美しさ」は際立っています。


2、Huey Lewis & The News “Small World”(1988年)

この作品にも日本の風景が登場します。新幹線や繁華街のショットに加えて、特筆すべきは自転車で出前をする男性の姿。80年代末、東京の街角で撮影された光景が、今ではすっかりノスタルジックな映像遺産になっているのです。


3、Europe “Let The Good Times Rock”(1988年)

ヨーロッパのハードロックバンド Europe が来日公演の際に撮影したこのMVは、まさに「日本づくし」。公衆電話、ゲームセンターなど80年代日本の「記号」は、今では「エモい」対象でしょう。バブル景気真っ只中の日本の繁栄を最もよく感じられるMVなのではないでしょうか。


4、Love and Money “Hallelujah Man”(1988年)

少し異色なのがこの作品。日本を舞台にした物語仕立てのMVで、主人公はなんと日本のサラリーマンです。彼は新幹線とともに富士山を背景に走り、最後には山頂で感情を爆発させる物語(?)です。歌詞と直接対応しているわけではなく、ストーリーも抽象的ですが、どこか不思議な魅力があります。ひょっとすると外国人の目から見た日本人像――勤勉で抑圧され、そして突発的に感情を解放する存在――ということなのでしょうか。勘繰りすぎ?


5、Sigue Sigue Sputnik “21st Century Boy”(1986年)

このMVは、日本のネオン街を舞台にした近未来的映像です。特に注目すべきは、日本語のキャプションが映像上にオーバーレイされる演出。当時はテレビCMといった商業的なものに使われていた技術を、MVというアートの文脈に使うというまったく新しい試みであり、後に「Vaporwave」文化が参照する美学の源流のひとつとも言えるでしょう。

6、Scorpions “Big City Nights”(1984年)

7、The Police “So Lonely”(1978年/MVは1980年)

8、Bob Dylan “Tight Connection To My Heart”(1985年)

9、Styx「 Mr. Roboto」(1983年)

10、Duran Duran – Girls On Film(1981年)

これらに共通しているのは、日本が「遠い場所」だったという感覚です。それは単なる地理的距離ではなく、文化的・感覚的な距離。当時の西洋人にとって日本は、「映す価値のある」ほどに未知で、魅惑的な被写体だったのです。彼らはCGでも作れない「リアルな異国」を求めて、東京の街や神社の境内をカメラで切り取った。そしてその映像は、40年近く経った今、逆に私たち自身の過去を映す鏡になっているのです。