歌舞伎町の寸借詐欺
2025/12/10
場末の飲み屋の店主とはいえ、歌舞伎町なんかを職場にしていると、急に変な人に声をかけられることがある。その日の午前7時は、寒空に立っていた初老の男性が、か細い声で何か私に訴えかけようとしていることくらいしか分からなかったが。
財布を無くした、家が遠くて帰れない、後で必ず返すから2000円貸してくれ、その3つだけはモゴつく中で伝えてくれた。そう、今日日珍しい寸借詐欺である。寸借(すんしゃく)、つまり少額を借りる詐欺だ。辞書的には「人の善意につけこみ小額の現金を借りるふりをして、それを騙し取る行為を指す」らしい。有史以前からあるであろう、化石のような悪事だ。
無視したって良かったのだが、この悪事が巧妙化し続けるディストピア現代において、このような古き悪き詐欺師に近づいてこられると、貴重な体験にすら思えてくる。それに、極寒の中で突っ立てるのは気の毒だ。
馬には乗ってみよ、人には添うてみよ。という諺はこういう時に使うものではないが、まずは相手の話に乗ってみるのが礼儀というものだ。万が一、詐欺じゃなかったら大変な失礼である。
「そこの交番に行ったら、交通費くらい貸してくれるのでは?」と聞くと、その交番には断られたという。新宿をナメるな。ここから徒歩圏内の交番は5つはある。アテは幾らでもあるだろうというと、全部の交番で断られたなどと言ってくる。腹が立ったので、じゃあその5つの交番の場所はどこだと聞いて相手を困らせていると、男性はおもむろにスマホを取り出してきた。
「とにかく、貸してください。1000円だけでもいいです。絶対にこちらから連絡して、返しに行きます。電話番号を教えてください、登録します。」と電話帳アプリを開きながら言ってくる。
いや、お前に電話番号を教えるくらいなら1000円お布施した方がダメージ少ねぇわ、と理性では思いながらも、先ほど私が仕掛けた大人気ない交番口撃が急に恥ずかしくなってきて、つい電話番号と苗字を教えてしまった。男性は、僕の電話番号を登録して1コールかけてきた。「茂木さん 2000円借りた」という不名誉な名前で私の番号は連絡先に追加され、男性の名前と電話番号も一応私のスマホに登録しておいた。やけに珍しいフルネームだった。
やっちゃったなぁ・・・と思いながら、まぁ2000円くらいくれてやるかという気持ちで、男性の画面を覗き込むと前代未聞の電話帳が飛び込んできた。
「赤井さん 2000円借りた」「井上さん 2000円借りた」「太田さん 2000円借りた」「加藤さん 2000円借りた」「菊池さん 2000円借りた」「久保さん 2000円借りた」「小林さん 2000円借りた」「佐藤さん 2000円借りた」「佐々木さん 2000円借りた」…etc。
流石にブチギレてしまった。「あなたねぇ!仕事は真面目にやって下さいよ!今どき寸借詐欺なんて、みんな分かった上で施しのつもりで引っかかってんですよ。でも、こんなん見ちゃったら渡したい金も渡せなくなるでしょ!常習犯なら、もっと上手くやって下さいよ!」と私が怒りを露わにすると、男性はスイマセンスイマセンと謝るばかり。
全く心配この上ない。朝の歌舞伎町でこんなに不器用な寸借詐欺師がいたら、詐欺を持ちかけた酔っ払いか何かを怒らせて殴られる可能性だってある。この時間なら新宿三丁目駅の出口付近とか、新大久保方面の職安通りとかの方が安全だし、お人好しの割合も高いんで(偏見)、場所を移動したらどうですか?などと説得をして、平謝りする男性に背を向けて私は朝飯を食べに行った。
さっきの説得は詐欺の指南に当たるから、俺もなんかしらの罪に当たるのか?などと考えながら、歌舞伎町の「焼きそば かぶきち」名物の焼きそば丼(米の上に焼きそばが乗っている)を堪能する。ふとTwitterで「歌舞伎町 寸借詐欺」とエゴサーチしてみると、「今どき歌舞伎町で寸借詐欺してる奴がいる、くたばれ」といった論調でさっきの男性と思しき人物が叩かれていた。しかし、なんで今どき寸借詐欺なんてコスパの悪いことを…。
そういえば、さっき男性の名前を連絡先に追加したのだった。気まぐれで、あのやけに珍しい苗字と名前をググってみる。背筋が凍った。出てきたのは茨城県北部の沿岸、小さな町工場の登記。社長の名前だ。日付を見ると、2010年。
あの震災の時、私は中学1年生。神奈川県の学校に通っていたので揺れは大きくなかったが、生徒たちは帰宅困難に陥ったのでクラスのみんなで学校に一泊した。みんな子どもだったので修学旅行気分でドンチャン騒ぎしかしていなかった。
別に私が悪いことをした訳ではないが、このまま帰っては気分が悪い。店を出て、あの男性のいた場所に向かった。まだいた。しかし、現金を渡すと成功体験になって良くないような気もする。横のローソンでちょうど2000円分の弁当や惣菜、ポッカレモンを買って渡した。この辺が落とし所だろうか。
数ヶ月経ったら、男性はまた同じ場所にいた。咄嗟に「この場所はやめとけって言ったでしょう!」と声を荒げてしまったが、私にそれを言う資格はないような気もする。こういう時って、何が正解なんすかね?