「社会運動史入門」の不在 断絶された“民衆が紡いだ日本史”
2025/12/17
どんな物事にも歴史がある。美術なら美術史、音楽なら音楽史、科学なら科学史といった具合に。
では、もっと細かな単位ではどうだろう。たとえば「ホットドッグの歴史」と適当に検索してみると(おそらく、いま私がエクセルシオールカフェでホットドッグを食べ終えたからだが)、2017年に刊行された『ホットドックの歴史』(ブルース・クレイグ/原書房)がすぐに見つかる。「序章 ホットドックとは何か?」から始まり、「古代のソーセージ」「中世のソーセージ」「ホットドッグ誕生」といった具合に、ホットドックの歴史がまとめられている。
ところが、本メディアのテーマである「社会運動」の歴史となると、思うような本やサイトが見当たらない。「社会運動史」という言葉もあるし、「社会運動史研究」という学問領域も存在する。それでも、日本の社会運動の歴史を、予備知識の少ない一般の読者が体系的に学べるような「入門書」は、なかなか見つからないのだ。
現在、簡単に入手できる社会運動史関連の書籍として真っ先に挙げられるのは、2018年から発刊されている『社会運動史研究』(新曜社)だろう。松井隆志、大野光明、小杉亮子ら社会運動研究者によって現在6号まで発刊されているシリーズ本だ。「レズビアン運動」「反核運動」「直接行動」「1980年代」など幅広いテーマが取り上げられているものの、やはりシリーズ本というだけあって個別の運動史にスポットライトが当てられており、総論的な入門書とは言い難い。2018年にミネルヴァ書房から刊行された『社会運動のグローバル・ヒストリー』は社会運動史研究者の田中ひかるが編者となって構成した社会運動史の本である。構成内容は、「第Ⅰ部 ヨーロッパとアメリカをつなげる」「第Ⅲ部 グローバルにつなげる」といった章構成からも分かる通り世界史的な比重が大きく、日本については限定的であるうえ、個別のテーマ別紹介にとどまる。女性運動や移民運動の世界的展開を学ぶには適しているが、日本の社会運動史を体系的に押さえられる本ではない。
さらに時代を遡ると、1952年刊行の『日本社会運動史』(赤松克麿/岩波新書)、1956年刊行の『日本社会運動史年表』(渡部義通、塩田庄兵衛/大月書店)などもあるが、なんと言っても60年安保すら起きていない頃の本であり、あまりにも情報が古すぎる。比較的近年の入門的文献としては、2004年刊行の『社会運動研究入門――社会運動研究の理論と方法』(帯刀治、北川隆吉/文化書房博文社)があり、社会運動研究全般の入門書のなかに社会運動史がまとめられている。NPO運動や労働運動など戦後の社会運動が幅広く触れられてはいるものの、あくまでも社会運動論研究の入門書であり、やはり難解さは否めない。
一方、年代や社会課題を絞り込めば、意外にも多くの書籍が刊行されている。いわゆる学生運動期の本などは無数にあるが、特に1950~70年代の学生運動や住民運動の流れは『ニューレフト運動と市民社会』(安藤丈将/世界思想社)がわかりやすい。また、1970年代から2010年代までの学生運動衰退期とも呼ばれる時期の知られざる運動の歴史については、『改訂版 全共闘以後』(外山恒一/イースト・プレス)があまりにも詳しい(一方で主に大人世代が中心となった住民・環境運動、女性運動については触れられていない)。2010年代から2020年の学生運動については『平成・令和 学生たちの社会運動』(小林哲夫/光文社新書)が一冊で概観できる。社会課題別に見ても、女性運動史は『おまえが決めるな!東大で留学生が学ぶ《反=道徳》フェミニズム講義』(嶋田美子/白順社)が入門書としてはわかりやすいし、1970年代から2000年頃の環境運動史で言えば『日本の環境保護運動』(長谷敏夫/東信堂)が比較的網羅的である。労働運動については、法政大学大原社会問題研究所が公開しているデータベースが圧倒的に充実している。右翼運動史については、同人誌ではあるが、宗教同人大納會が制作した『右翼―入門編―』が非常にわかりやすい。戦前から現代までの右翼運動の歴史が、前提知識の少ない人でもわかるように、網羅的かつ客観的にまとめられていて、商業出版レベルの書籍にも匹敵する良書である。
このように、日本における社会運動史関連の書籍は、非常に断片的かつ一つのテーマを掘り下げているものが多く、一般人向けの浅く広い入門書が存在しないのである。
日本における社会運動史の入門書が存在しない理由として大きく2つの理由が考えられる。一つは、非常に複雑かつ多岐にわたるからである。「日本の社会運動」と一言で言っても、今までにありとあらゆる運動が実践されてきており、それらが非常に複雑に絡み合っている。これらの解釈は研究者や実践者たちのあいだでも分かれるところが多いだろう。例えば、「学生運動をどう総括するか」というテーマであっても、きっと実践経験者と実践経験のある研究者、非実践者である研究者、現代の実践者で答えは変わってくるだろうし、「華青闘告発」がその後の新左翼運動に与えた影響という非常に個別的なトピック一つを取って見ても、当時を知る人たちの中でも意見の相違がある。こんな複雑で議論が分かれるテーマを総論的に浅く広く紹介しようと思うと、非常に高度なレトリックが必要とされるだろう(大きな声では言えないが、社会運動の実践者はめんどくさい人が多いので、やれここが違うとか、やれここは議論が分かれるところ云々とか、完成後に難癖をつけてくるのは容易に想像できる。で、いろんな注釈を入れているうちに、入門書とは程遠い複雑怪奇な専門書が出来上がってしまうのである。ま、あんま大きな声では言えないけど)。
もう一つの理由は、そのマイナー性である。海外の場合、その国の歴史に社会運動史は大きく刻まれている。例えば、隣国・韓国の場合、1980年代の民主化運動は歴史的に大きな出来事であり、2025年にはソウル市に民主化運動博物館が開館するなど、入門的な啓発と継承という意味では非常に充実している。台湾にも、台北に「国家人権博物館」があって、白色テロ時代の抵抗運動の歴史がデザイン性に富んだ形で紹介されているし、デンマークにもレジスタンス博物館という、ナチス占領下における抵抗運動が展示された博物館がある。実際に、私はこれらを訪問したのだが、その規模や展示内容の豊富さ、わかりやすさは、想像を超えるものだった。

一方、日本において、日本史においても、社会運動史というのは残念ながらメジャーなジャンルではない。「革命」や「民主化運動」といったような、他国にある象徴的な出来事がないのである。言ってしまえば、入門書を作ったところで「一部の人」以外、誰が読むんだという資本主義的な事情があるのだろう。しかも、「一部の人」は、ちょっと小難しい研究文献や個別的な書籍だって読めるので、尚更入門書の存在価値がなくなってしまうのである。ホットドックの歴史の本があって、社会運動の歴史の本がないのは悔しいところだが、おそらくそうした身も蓋もない事情もあるのだろうと思う。
しかし、私たちはそれを乗り越えなければならない。社会運動史と言うのは、言い換えれば、民衆が紡いだ日本政治史であり、私たちのような名もなき一般人たちが命がけで残してきた歴史そのものであるからだ。それを、令和の時代を生きる一般人たちにわかりやすく伝えないなど、もったいないとしか言いようがない。
「日本人は大人しい民族だ」と言われて久しいが、実はそんなことはない。百姓一揆、自由民権運動、米騒動、社会主義運動、文化運動、大正デモクラシー、国粋主義運動、労働争議、反核運動、部落解放運動、安保闘争、沖縄祖国復帰運動、右翼運動、大学紛争、テロリズムを用いた直接行動、住民運動、障害者運動、北方領土返還運動、消費者運動、反管理教育運動、環境運動、宗教運動、業界団体による運動、動物愛護運動、在日外国人による人権運動、フェミニズム運動、NPO・NGO運動、患者運動、反原発運動、先住民運動、市民アドボカシー、拉致被害者奪還運動、排外主義運動、反排外主義運動、クィア運動、気候正義運動、移民・難民運動、反ワクチン運動などなど…。日本の歴史を紐解いてみると、多くの先人たちが社会に違和感を抱き、それに抗うために声をあげてきた。いつの日からか「野球と宗教と政治の話はしてはいけない」と言った風潮が強まり、日本人は骨抜きにされてしまった。しかし、「失われた30年」のおかしさに気づき始めた人々が中心となって、昨今の投票率の(微)向上や、左派・リベラル以外の新勢力を発端とするデモの高揚(それを手放しに評価することはできないが)など、明らかに数年前とは社会運動を取り巻く状況が変わってきているように思える。
今こそ、先人たちが紡いできた社会運動の歴史を振り返り、一般人にもわかりやすい網羅的で教科書のような入門書が求められているのではないだろうか。私たちが新しい歴史を紡いでいくためにも。