【連載①】2015年、SEALDs運動に参加した高校生が振り返る熱気と失望の世代論。
第1回 民主党政権と311、「世紀末生まれ」の政治体験。
2025/07/01
2015年の夏。高校生の私は国会前にいた。あれから10年が経ち、「SEALDs現象」「15年安保」などと言われたあの運動のことは、歴史化されるべき時期に来ている。SEALDsは大学生の運動として言及されることが多く、高校生の参加者目線での回顧録は、ほとんど存在しないようだ。ここでは数回に渡って、一般高校生としてあの現場にいた筆者の記憶を手繰り寄せ、運動を美談化するような感動的なリベラルエピソードになることを避け、下らない運動だったと嘲笑するネット世論的な感性にも乗らないように、生々しい記録として私の経験談を交えながら、「2015年、高校生にとってSEALDsの運動とは何だったのか?」を世代論・時代論の観点からの考察を中心に語っていく。
あの時の空気感は、「過去のもの」になっている。しかし、現在のグチャグチャな社会の起点の一つを、2015年の夏に求めることが出来るはずだ。大手メディアの称揚と、ネット上での総叩き。運動に期待をかける高齢者と、運動を冷笑していたマジョリティーの若者層。デモのハードルを下げることを命題にした運動戦略と、そのポップ化路線の限界。距離を置いていたオールド左翼と、運動の主体だったリベラル派の摩擦などなど。これらの溝は10年で拡大に拡大を重ね、加速し続けた結果が現在の社会ではないだろうか。
現役世代ほど右派政党に投票し、左派政党の議席は高齢者の投票が支えている。大手メディアの影響力は下がる一方で、ネット上で渦巻く陰謀論や素朴なヘイトが世論形成の主要な部分を作りつつある。伝統的な左翼と、X(旧Twitter)で目立つリベラル系アカウントの路線や主張の溝は深まる一方で、間隙を縫うようにほとんどの先進国で極右や新興右派が最も支持を集める社会になった。これらの兆候は日本においては2015年に吹き出したと筆者は体感している。しかし、その流れはこの10年で食い止めることができなかった。今の日本社会の政治的無秩序さは、なぜ形成されてしまったのか?という問いを考える時に、あの運動に立ち返る必要があると思う。そのため、単なる思い出話で終わらないように、あの時の空気感と今の社会の連続性を考えながら、高校生であった私と27歳になった私を対話させるように、綴って行こうと思う。
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日本における大規模デモとしては半世紀ぶりの規模だと言われ、マスコミや主要野党を巻き込んだ、現時点で最後の大規模反政府運動として歴史に残っているあの運動。21世紀において、今後あの規模での社会運動が存在することがあるだろうか。あったとしても、それは”私たち”が期待するような直接民主主義だろうか。今、デモといって話題になるのは財務省解体デモや反ワクチンデモであり、海外に目を向けると反移民デモの報道が目立つ。あのような、2015年当時ですら時代錯誤でありながらもメディアや野党、リベラルな市民の期待を一身に集め、概ね敗北に終わった巨大な運動はなんだったのか。それを、当時はデモの高校生参加者だった筆者の目線から振り返ろうと思う。
しかし、いきなり反安倍政権の高校生が登場しては気持ちが悪いだろう。多くの運動体験で、当たり前のように「戦争を推し進める政府に危機感を持った!」などとのたまう”少数派”の若者が登場したりするが、そんな”偏った”高校生が当然のように登場する体験記には、個人的に抵抗感がある。この連載の第一回と第二回では、まずは当時の私がなぜ国会前に足を運んだのか、いわば「当時、安倍政権の方向性に疑問を持つ高校生がどのように形成されたのか」をN=1にて恐縮ながら、私の世代体験から綴らせてもらう。
当時の高校生は、1997年度〜1999年度生まれ。筆者は1997年度生まれで当時は高校3年生だった。そのため、911テロやイラク戦争、小泉劇場の記憶は基本的にない。だから、政治的な変動を最初に体感したのは、民主党政権の誕生だった。
街では大規模な街頭演説が開かれ、中学受験組は時事問題の受験対策として民主党政権のマニフェストを塾で暗記させられた。少し歩けば、「政権交代」と書かれたポスターが貼られ、小沢一郎の汚職報道が終われば選挙報道、それが終われば「2位じゃダメなんですか?」と蓮舫が問い詰める映像が連日流され、とにかく小学生ながらに世の中が変わっていることは理解していた。
必然か偶然か、オバマ政権も民主党政権と同じ2009年の誕生であった。世の中は昭和的な古い感性から、多様性を重視し、気候変動に配慮し、マイノリティーや困窮する人を包摂する方向に変わっていくものなのだと、子供らしく疑問を抱かずに受容した世代であった。もちろん当時はそれが、あくまでリベラル陣営的な価値観だということなど知らず、日本はおろか世界の人々の”合意”がそれであり、これから(今でいうところの)リベラル優位的な方向に世の中は進み続けていく、小学生である私はそのような未来を生きる人生を送るのだと、疑問を抱かずに受け取っていた。そういった平成後期の進歩主義を内面化したのは、大手マスコミ、学校教育、小学生新聞や出版社などが作る補助教材などが全てそのような価値観一色だったからに他ならない。子どもであれば、それらを「そういうもの」として受容するのは自然なことだろう。
私はその流れに反発を抱かなかったので、最初に見た政治的イデオロギーが「リベラル」的なものであったので、素朴にそれを受容した。アヒルの赤ちゃんが最初に見た生き物を親だと思い込む、お約束の刷り込みだ。実際に、このような「リベラル優位的な方向」は直近10年でかなり実現したといってもいいだろう。昔だったら見過ごされたであろう性加害は総量としては減っただろうし、気候変動への各国の対策も大枠で見れば進んでいる。(少なくとも制度的には)性的少数者の権利は拡大しただろうし、各国の人種的多様性も20年前とは比較にならない。しかし、大企業の役員たちがSDGsバッジをつける中で、極右的な世論・政治勢力の増長は戦後最悪クラスという倒錯した状態だ。いわば、「社会は左傾化しているのに、政治は右傾化している」とでも言うべき時代が、この10年近くの欧米や日本の状況だろう。その原因は単純に語れるものではないが、この倒錯が起きる直前の2000年代を知る最後の時代に子ども時代を過ごしたことが、後の感性に大きく影響したように思う。
そして思春期。私が中学1年生の時に東日本大震災が起きる。原発問題や放射能の危険性などについて侃侃諤諤の議論がテレビで交わされる中、13歳の私があのような高度に理系的な議論を理解できるはずもなく、初めて「何が正しいのか分からない」という感覚に苛まれるようになった。小学生の時に、未来を作ってくれるとオトナタチから聞かされていた民主党政権は世間の嫌われものになり、時代は反転し始めた。一方で、原発問題は初めて政治ニュースと自分の生活が直結した経験であった。関東在住であった私は、関東における放射能汚染の危険性を訴える人たちの話を真に受ければ自分事であったからだ。
311の直後、私は親に言われ祖父母の住む関西に一時避難をした。クラスメイトや小学校の友達でも、同様に一時避難した人は少なくなかった。大半の学校は3月11日から新年度まで、ほとんど春休みが被っていたので、どの道欠席扱いにはならなかった。情報が錯綜し関東の汚染具合が分からない当時にあっては、実家が西日本にある保護者が「祖父母宅が西日本にあるのだから、春休みでどうせ学校は休みなのだし念の為預かってもらっておこう」という判断をしたのは自然なことだっただろう。
また、私が卒業し、当時は弟が通っていた地元の公立小学校では「北関東への修学旅行を開催するか」でPTAが紛糾していた。北関東の放射能汚染のレベルが不安だから修学旅行に行かせたくないという保護者が続出し、中止か開催かで揉めていた。結局、無事に開催されたものの、反対派の保護者の子供の一部は不参加であった。この子供たちにとって、政治を急激に身近に体感した経験であっただろう。人格形成への影響は計り知れない。
他にも、2014年に私が所属していた高校の軽音部で、茨城県海岸沿いでの合宿を企画した所、一部の保護者に「津波が怖い、そんなところに子どもを行かせられない」と反対され場所の変更を余儀なくされるという経験をした。東日本大震災と関連する原発問題は、関東の中学生にとっても身近な政治問題であった。
中学の終わりには自民党が政権を奪取し、第二次安倍内閣がスタート。政治的にリベラル優位の世相は幕を閉じた。そのような世代経験の中で、私は政治問題に何となく関心を持つ「なんちゃってニュース少年」になっていた。子どもの頃から思春期にかけて、政権交代や震災を経、政治や社会になんとなく関心を持つ人はそれなりにいただろう。きっかけとなるニュースが違うだけで、いつの時代でもそのような層は一定数いる。別の世代にとっては、地下鉄サリンだったり911だったり、安倍元首相の銃撃だったりコロナ禍だったりするだろう。
しかし、特筆すべきは、政治やニュースに関心がある中高生の中で、安倍政権に批判的であったものは明らかに少数派だったことだ。
2015年当時、ほとんどの同級生は基本的に「政治に無関心な若者」であることはもちろん、関心がある層もむしろSEALDs的な運動や野党の抵抗には嘲笑的な態度であったり、安倍政権に好意的であることが普通だったからだ。それは、いわゆる「若者の政治的傾向」に関するあらゆる調査を漁るまでもなく、この10年間の国政選挙における若者の投票行動を見れば自明なことだろう。
では、なぜそのよういな「右傾化する若者」と呼ばれた世代の中で、私が数少ない「反安倍」の高校生になったかを、当時の中高生を取り巻くインターネット環境を振り返りながら第二回で綴る。