コラム私感雑感

保守派学生が通った平成27年(2015年)の政治運動

玉垣しの 2025/11/26

 平成27年(2015年)は、暑い夏だったことを今でも覚えている。気温ではない。もちろん、政治運動の季節だったからだ。第二次安倍政権は、平成25年(2013年)に特定秘密保護法を国会に提出し、翌平成26年(2014年)には集団的自衛権の憲法解釈を変更したことから、左派・リベラルを中心に活発な反対運動が盛り上がっていた。対する右側の陣営でも、桜井誠が結成した在特会が最盛期を迎え、毎月、全国各地で「日韓断交・韓国粉砕」や「在日朝鮮人を日本海に叩き込め」といった扇動的なスピーチが行われていた頃である。まだ今ほどカウンターもおらず、自由闊達に演説できていたように思う。このように左右の運動が盛り上がっていた状況のなか、平成27年を迎えた。

 この年は、戦後70年の節目にあたり、「先の大戦の反省」などを取り上げるテレビ番組が多く放映され、特に国民は「戦争」を考えた年だっただろう。8月15日「終戦記念日」は、大きな盛り上がりをもって迎えられ、靖国神社においては、一般参列者も多かったが、右翼の街宣車が大通りを埋め尽くし、境内には日章旗、旭日旗がはためき、日本会議を中心とする実行委員会が参道で集会を開いていた。その中には、いまや参政党代表として名高い神谷宗幣も、「龍馬プロジェクト」の一員としてスタッフに加わっていた。「頑張れ日本!全国行動委員会」による、日章旗をはためかせた1,000人規模の国民行進は、靖国神社参道における壮麗な「聖寿万歳・日本国万歳」で終了し、そのまま、九段下交差点における「反天連迎撃活動」に合流した。桜井誠のアジ演説で場の空気が最高潮に達する中で登場した反天連デモ隊に対し、旭日旗を掲げた人々が沿道からあらん限りの罵声を浴びせ、街宣右翼がバリケードを乗り越えようとして機動隊員と揉み合いになる光景は、今でも脳裏に焼き付いている。警察の制止力を超える熱量が、あの場には充満していた。

 そのような情勢下、安倍政権は平和安全法制を国会に提出した。「先の大戦の反省」を踏まえ、戦える国を作る法案として保守派は強い歓呼でこれを迎えたわけだが、当然、左派・リベラルから共産党、新左翼まで強い反対運動が巻き起こった。前年の特定秘密保護法や集団的自衛権に対する反対運動から活動していた学生グループがSEALDsを結成、彼らを中心に子育て世代から高齢者まで広範な”市民”が国会前で毎週のように抗議行動を実施した。まだまだ共産党系の労組や市民団体に動員力があった頃であり、最大、10万人が参加したとされている。また、全国各地にSEALDsの支部が生まれ、地方都市でも抗議行動が取り組まれたのだが、マスコミは「戦争法案反対」一色で、連日これら活動を熱心に報道した。

  平成27年9月19日、SEALDsや市民連合の呼びかけに応え、共産党が、野党共闘によって安倍政権を打倒しようと試みる「国民連合政府」構想を発表した。この時点で、安倍政権側と「国民連合政府」に政治勢力は二分され、野党側には、「政権交代をもう一度実現してやろう」という熱意があったように思う。

  この情勢に、SEALDsの学生は”政権交代”を、中核派やノンセクトの学生は”革命”を夢見ていたのかもしれないが、保守派の学生は、この”革命”に危機感を抱いていた。

  とはいえ、平成27年中、平和安全法制支持や反SEALDsを掲げる保守派学生主体の活動はなく、保守系団体の街頭アピール等に学生が散発的に参加する程度であった。多くの保守派学生は、SEALDsの盛り上がりを悔しい思いをしながら見ているものの、その運動の盛り上がりに反撃できないでいた。

  年が明けて、平成28年(2016年)、まず動いたのは、「勝共UNITE」である。統一教会現役信者の学生を中心とするこの団体が平成28年1月に結成され、5月に都内でデモ行進を実施した。SEALDsに対抗し、安倍政権を支援する団体として、この活動は保守系の活動としては珍しく報道された。また、6月には保守系言論人が運営する私塾の学生部が憲法について考えるイベントを都内で行い、秋頃には憲法改正をテーマとする学生団体が日本会議系の主導で立ち上げられた。とはいえ、対抗すべきSEALDsの退潮に合わせるように、保守派学生の活動もその後低調になっていった。

  当時の保守派学生は、全国規模の運動体として日本会議系の学生団体がある程度で、他は各大学にサークルが点在しているという状況だった。早稲田大学国策研究会や国士舘大学皇国史観研究会、首都圏各大学の弁論部などがその例である。また、大都市を中心に自民党学生部や遺骨収集を活動の主軸にする団体、保守系のスタンスを取る幸福の科学の学生信者を中心にしたグループも存在していた。次世代の党(日本のこころ)周辺にも若干ながら学生がいた。ネット右翼を経て在特会の活動に参加する学生も全国各地に点在していたり、保守系言論人の講演会や私塾における学生の参加は今以上に多かったりしたものの、個々人がネットワーク的に繋がっているだけで連携の動きはなかった。ネット右翼の学生は各大学に必ずおり、SEALDsに代表される左派系の学生グループをTwitter上で激烈に批判していたのだが、街頭に出て抗議を行う者はごく少数だった。誰もが”革命”の危機を阻止したいと思っていたが、彼らを纏め、街頭行動に導こうとする主体的な学生が圧倒的に不足していたのである。 

  平成27年11月、日本会議系の「美しい憲法をつくる国民の会」が日本武道館において1万人大会を開催した。仄聞する限りにおいて、この大会の成功を受け、「憲法改正」を旗印に、日本会議系の学生団体を中心に保守派学生の各サークルや団体を糾合した全国的な組織の結成が計画されていたようだ。平成28年4月には、その試験運用的な形で、憲法を考えるトークライブが都内で開催され、100人以上が参加していた。もし全国組織が結成されていたとしたら、街頭で100〜150人程度は動員できたのではないだろうか。私の知る限り、保守派学生の運動としては、この計画が最も大きなものであった。

  総括すると、我々は敗北した。SEALDsを中心とした左派・リベラルの街頭行動の奔流の前に、我々は改憲の旗も、自主独立の旗も立てられなかった。街頭に出て顔を晒していたSEALDsの学生に対し、Twitter上では圧倒的な誹謗中傷や氏名・所属の特定が行われ、「就職できなくなる」というデマも飛び交うなか、街頭に出ることへの躊躇も当然あった。彼らほどではないだろうが、警察公安による監視も当然されただろう。我々はSEALDsと違い、その一歩を踏み出せなかった。確かに特定秘密保護法は制定され、集団的自衛権の憲法解釈は変更され、平和安全法制も制定できた。ただ、あれから10年、憲法改正は実現せず、直近で言えば、政府は尖閣有事・台湾有事に備え、確固たる国家の意志を示すこともできていない。SEALDsが敗北したかどうかは分からない。ただ、私が思うに、我々は、敗北し続けている。