主催者の一人として、「石破辞めるなデモ」を振り返る
主催者の一人として、「石破辞めるなデモ」を振り返る
2026/01/15
もはや誰も話題にしなくなっているが、昨年2025年7月の参院選後、首相官邸前や自民党本部前では”非”自民党支持層の呼びかけで繰り返し「石破辞めるなデモ」が開催されていた。SNSでの盛り上がりだけにとどまらず、物珍しさからか新聞やテレビ局などの大手メディアも反応した。その功あってか一時期は内閣支持率もやや上向くなど、最も参加者数の多かった初回で主催者発表1200人超と近年のデモの中では盛り上がっている方とはいえ、それほど大規模でもないデモにしてはかなりの影響力を持ち得ていたと思う。
とはいえ、高市内閣の支持率がどの社の調査でも7割前後、10・20代に限れば9割超という圧倒的な結果が出ている今となっては、そんなささやかな「影響力」など霞んで見えてしまう。どれだけ言葉をつくろったところで、あのデモが一時的な話題作りに成功しただけのものでしかなかったことを否定するのは難しい。だが、何事にも良し悪しはある。当時は私もデモ主催者の一人として様々なメディアの取材に応えていたが、現在進行形で行われている運動の渦中の言葉とは、どうしても「戦略的」にならざるを得ないものだ。デモが明白に失敗に終わり、そして記憶が薄れ切るほど過去のことにはなっていない今は、当事者が回顧の言葉を残しておくには適しているかもしれない。
ただ、当事者と言ってもわたしは主催者のひとりに過ぎない。「石破辞めるなデモ」は7月25日、8月1日、8月8日、9月7日、9月12日の5回行われている(総辞職の10月21日に合わせた「お見送り&お疲れさま会」を加えれば6回)。わたしが呼びかけたのは2回目の8月1日、自民党本部前でのデモのみだ。1回目、4回目、5回目には参加すらしていない。この小文はあくまで個人的な視角に映った景色に基づくものでしかないことを断っておく。
簡単に私の運動的なバックグラウンドを説明しておいた方がいいだろう。私は2023年の軍事衝突が始まった、いわゆる「10月7日」後に、イスラエルの虐殺と民族浄化への抗議活動を始めた少なくない人間のひとりだ。それまではデモに参加したことすらない。たまたま防衛大学校を卒業していたこともあって、防衛省がイスラエル製攻撃用ドローンの取得を検討している問題では旗振り役のようなこともやっている。自民党支持者ではないからという以前に、そもそも国内問題でのデモ主催自体がほぼ初めてのことだった。そんな私がなぜ2回目を呼び掛けることになったのか。
……などともったいぶるまでもなく理由はシンプルで、イスラエル・パレスチナ情勢を踏まえて石破内閣を打倒させたくなかった、というだけのことだ。石破と石破内閣の防衛大臣だった中谷元は、長年超党派の人道外交議連で活動してきた政治家だ。防衛省のイスラエル製ドローン導入を止めるため、また9月に国連総会を控えて先進諸国の間でも機運の高まっていたパレスチナ国家承認を実現させるためには、現実的な範囲で望みうる最高の内閣だったとさえ言える。参院選後に石破内閣退陣不可避をほぼ確信して諦めモードに入っていた私にとって、Twitter上での「#石破辞めるな」ハッシュタグと官邸前でのデモは「もしかして」という一縷の希望を抱かせるものだった。
だが、こうした思いはあくまで個人的なものに過ぎない。初回主催者からの注意と申し送りを受けつつ実際に注意を払ったのは、特定のイシューを前面に出さず、あくまでも「激励」に徹しなければならないということだった。シュプレヒコールひとつとっても、「石破辞めるな」「石破は粘れ」「頑張れ頑張れ石破」といった極力党派性を薄くしたものが中心で、やや踏み込んで「排外主義者に負けるな石破」「裏金議員に負けるな石破」と言うことはあっても、特定の政党や派閥、政治家を名指すことは避けた。スピーチ無しとしたのも、具体的なイシューに踏み込まざるを得なくなることや不規則な発言を防止するためだ。とりわけ普段「内輪」でしかデモをすることのない左派やリベラルの企画である以上、デモに忌避感を持ちがちな自民党支持層含む穏健保守派が参加しやすくなるためには不可欠な配慮だった。実際、3回目にはこうした配慮が行き届いておらず、自民党支持の参加者から「戦争反対」というコールに対してクレームがつく一幕もあった。「イスラエルから武器を買うな」などもってのほかだ。
もっとも、具体的なイシューに踏み込まず敵を明確に名指すことのないデモはエネルギーが出づらい。友敵を明示して先鋭化させるという運動の王道が使えない以上、他の方法を考えなければならなかった。そこで2回目の呼びかけ時には激励会というコンセプトを踏襲・発展させる形で「推し活」ムードを出すことにした。初回の呼びかけでは「石破激励の趣旨のプラカード持参大歓迎」とあったが、そこに「うちわ、ペンライト」を書き加えた。当日はわたしもペンライトを振りながらコールをリードし、デモの最後には石破の「推し」であるキャンディーズの「春一番」を流した。馬鹿馬鹿しいと言われればその通りだが、主催の私が馬鹿馬鹿しさに徹していなければデモの場は真面目になり過ぎ、参加者間の立場の違いも露わになってしまっていただろう。
社会運動論研究者の富永京子が2025年7月25日付の朝日新聞の記事で、このデモを「非論理的」だと批判する(主に男性の)知識人たちに対し、「今回の選挙結果に対する、ある種の藁にもすがる気持ち」や「不安を誰かと共有したいという感覚」の表れだとコメントし「文化的・感情的側面」への注目を促していたが、やや的を外している。一連のデモは自民党のみならずリベラル左派野党を牽制することで石破降ろしを防ぎ、極右排外主義の勝利を防ぐという明確に「戦略的・政治的」な狙いのもとに行われていたが、しかし「非論理的・感情的」な形をとることでしか共同性を担保できない、きわめて脆いものだったのだ。残念ながら。
リベラル左派野党の牽制という目的のみ限定的に達成できたものの、自民党内の石破降ろしも内閣退陣も防ぐことができなかった以上、一連の運動が失敗であったことは言うまでもない。一方で、これを「党派を超えた大同団結」「反ファシズム統一戦線に向けての市民の準備運動」として評価することは可能だろうか。
将来的にはともかく、現時点では難しいように思う。確かに一連のデモにはリベラル層だけでなく自民党支持者まで幅広く参加していたが、そこに共通の民主主義や市民的自由を巡るナラティブが存在したとは言いがたい。ペンライト持参を呼びかけアイドルソングを流すなどの具体的なアイデアは言うまでもなく韓国の市民運動に倣ったものだが、長年の運動の蓄積から生まれたスタイルやプロテストソングなどではなく、上っ面の真似事でしかなかった。
最大の問題は、この運動が石破茂というアイコンを失った後の妥協点を見出だせていないことだ。改めて書くまでもないことだが、石破茂という政治家は政策レベルでは左派と親和的な政治家ではない。ところが、石破茂であっても許容できる左派やリベラルの少なくない人々は、主に安全保障政策で中道路線を選択しつつある現在の立憲民主党を許容できないでいる。岸田政権下での大軍拡の流れをさらに推進した石破内閣と、あえてこういう書き方をすれば安保法制容認に踏み切っただけに過ぎない立憲民主党執行部とを並べた時に後者だけが許せないのであれば、それはおそらく単に心理的な理由ではないだろうか。
かと言って、「大向こう受けの奇を衒ったデモではなく、地に足のついた運動で草の根の民主主義を形成していくべきだ」などと優等生的なまとめで終わらせるつもりはない。実際のところ、いつだって私たちは準備万端であることなどできない。手持ちのカードで勝負するしかないのだ。
難民支援を行っている友達から「岸田や石破の頃には礼儀正しくなっていた入管職員が、高市内閣になってからは急に態度が悪くなって敬語が外れるようになった」という話を聞いた。過度な自責は傲慢でしかないとはいえ、私たちの失敗はおそらく回りまわってすでにもっとも弱い立場の誰かを死地に追いやっている。
後悔も懺悔も追いつかないまま世界は回り、人は死ぬ。私はこれからも失敗し続け、敗北し続けるだろう。絶望の自己憐憫に浸ることを自らに禁ずるとすれば、答えはたゆまぬ実践のなかにしかない。